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第7回人気番組メモリー 世界ウルルン滞在記 [山本耕史]

第7回人気番組メモリー 世界ウルルン滞在記
2010年2月20日(土)13:30 @横浜情報文化センター 放送ライブラリー
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人気番組メモリーは、クイズ、ニュースショー、エンターテイメントなどの分野で話題になったシリーズを取り上げ、出演者やスタッフから当時のエピソードや裏話を聞く公開トークショーです。
第7回は、1995年から2008年までTBS系列で放送された「世界ウルルン滞在記」(毎日放送/テレビマンユニマン)を取り上げます。
個性豊な俳優やタレントが旅人となって世界各地にホームステイ。そこで体験する様ざまな出来事を、スタジオのパネラーがクイズ形式で解き明かしながら紹介していく紀行番組。
ドキュメントやクイズを融合させたユニークな番組構成と、旅人が現地の家族と同じ生活をするという視点が視聴者の共感を呼んだ。
番組が放送された13年半の間に登場した旅人は、のべ688人。
104の国と地域を訪れた。番組タイトル『ウルルン』とは、出会う・見る・泊まる・体験の語尾をつないだもの。現在も、BS-TBSで毎週金曜日よる10時から「世界ウルルン滞在記リターンズ」として放送されている。
今回のゲスト山本耕史さんが訪れたのは、「ミクロネシア」(95年)「イギリス」(97年)「中国」(03年)「アメリカ)(08年)の4箇所。

ゲスト:徳光 和夫(司会)、山本 耕史(旅人)、白井 博(制作)
司会:大山 勝美(放送人の会 特別顧問)

マグさんでトークショーの応募のスケジュールが掲載されていて、応募してみましたが私は外れました。
友人からメールが着て当ったと言う事でトークショーに参加することが出来ました。
このトークショーは年1回開催されていて、他にも色々なトークショーがあり、私はトークショーの存在すら全く知らなかったのですが、会場前に掲載されていたパネルを見て、面白そうなトークショーが沢山あり、もっと前に知っていればなぁ~と。

10時前に会場に行って見ると既に10人くらいの人が並んでいて、先着順なのでもっと人が並んでいるのかなぁ~と思ったらそうでもなかったのでほっとしたのですが、今回のトークショーの応募が1600通あり当選が230人だったので、本当にラッキー。友人に大感謝です。
今回のトークショーが始まってから初めてのことらしいけれど、北海道から愛媛からの応募があったようです。

が、前日私は飲み会があり朝帰りだったので、トークショー中「ウルルン」の耕史くん過去出演分が45分にまとめられた放送や耕史くんが登壇したときも時々ウツラ・ウツラorz

耕史くんのファンになったのが、2004年に放送された大河ドラマ「新選組!」からなので、リアルタイムで見ているのは、「アメリカ」のギター作りの旅のみだったんだけれど、多分特番で見ているのでしょうね。初めて見る放送はありませんでしたが、「ミクロネシア」の旅は、耕史くん当時18歳だったので会場から悲鳴が上がっていました。

出来れば、45分にまとまった放送を欲しいくらい!私以外にもそういう声が上がっていました。

放送終了後、ゲストが登壇。
1番前に運良く座ることが出来たので、会場も小さいこともあり、斜め前に耕史くんが座っていました。
衣装は、白のシャツに黒の柄が入っているシャツで、眼鏡をかけていて、黒のパンツだったような。←眠っていた罰で衣装はあんまり覚えていないんですよねぇ~…

トークショーで覚えているところを忘れる前に書いておこう。

徳光さんが巨人軍の話しをしている時は、笑顔で話しを聞いていました。

番組の名前を決めるのは、試行錯誤があったようで、最初は「日曜日は世界に居候」だったけれど、スポンサーからNGが出て、居候は阪神淡路大震災があり良くないと言う事になり、「ウルルン」は意味の無いタイトルになったそうです。
耕史くんは、皆が家族と別れるときにウルウルくるのでそう言うタイトルになったと思っていたらしく、がっかりしたとの発言。
タイトルも新聞の番組表に収まるよう考えたとの事。
高倉健さんにも出演してもらいたかったみたいです。

最初は、有名人に出てほしかったけれど、事務所サイドでNGが出て、若手に白羽の矢が立ったとの事。最初の趣旨と変ったけれど、それによって番組が良くなり、若手発掘番組になった。

 耕史くんの出演の最初は、「ミクロネシア」と言う秘境で、水が無く、やしの実が何日か温くて飲めなかったが、文明の機器が無いとこで、生きていて僕たちは何も出来ていなく、向こうの人達は、生きるために生活をしていて、“新宿生まれ新宿育ち”(ここで会場は爆笑)こう言う番組は、スタッフの人が助けてくれるって思っていたら、何にもしてくれなくてビックリ。
名前まで付けてもらえて、いまだに当時の名前に友人から呼ばれている。
 「中国」の手品の修行に行ったっ時、儀式で60何度??のお酒を呑んだ時、あの当時は、相当お酒が強かったのに、2日間くらい動けなくなってしまった。中国の新聞に掲載された時は、酷かった。
 「アメリカ」の回でギターを作成し、そのギターを持って来てくれていて、ギター演奏をしてくれました。
そのギターは、アコギ・エレキ両方使えるギターで、向こうの人と交流するときに歌っていた1曲歌ってくれました。

 カメラが回っているときも、普通に接してくれて、カメラが回っていないときの方が、家族として扱えてもらえた。
自分の故郷が4つ増えたって感じ。

企画は、大半がディレクターが立てていて、OKが出たら、現地取材に行って、フォームスティー家族を探してくる。その後、旅人を連れて行く。
「テレビ番組を作る為に行くのでもなく、自分の旅を楽しんでくれ」と毎回旅人に伝えていたとの事。
台本が無くて、ドキュメンタリーの撮影スタイルを取っていて、それが上手くあわなかった方もいたとの事。

 日本人としての自分がどう言うのか感じるようになったと、若い人が言うことが多く、初日から上手くいかない事があった。
生徒になる機会が大人になると少なくて、ここの文化にいなくちゃいけなくて、生徒になれるかがポイントで、生徒になれた人の回が多かったと思うとの事。
 芸能界引退しても良いから、他所の国に行きたいって言う人がいて、何日かしたら馴染んで来てそのまま放送をした。
 何にもやってくれない回もあって、家にも入れてくれなくて、野宿の時もあったけれど、最後まで受け入れてくれない時もあって、フォームスティー先を変えたときもあった。
 お礼は、現物支給が多い。一番希望が多かったのは、発電機だけれど、置いていくのは簡単だけれど、オイル代が高いと説明をしたとの事。

番組が終わったのは、白井さんが飽きてきて、毎日放送サイドでそろそろ視聴率も下がってきたので、番組を切り替えたいという意向があったとの事。
番組が終わって、今の時代に裸で生活をしているって言う人がまだ入るって言うのがビックリして、生活観が変った。

■質問コーナー
質問者:フォームスティーをしていた時のコミュニケーションは?
耕史くん:歌と音楽は国境を越えるな。と思うが、「ミクロネシア」で手品をしたら、何で石を消せるんだと言う事になり悪魔的な扱いになってしまった。

質問者:下條さんの語りについて。
徳光さん:下條さんでずっと言って欲しかった。
白井さん:下條さんを変えろといったのは、毎日放送サイド。

質問者:これをやってみたいものは?
徳光さん:何にもありません。司会が好きなんです。

まぁ~もっと面白い話しをしていたと思うのですが、ウツラ・ウツラしていたのと、元々記憶力が無いので覚えているのはこんな程度だったけれど、毎回見ていた訳ではないけれど、素敵な番組だったので、終わってしまったのは残念。
今、BSで放送されているそうなので、見てみようかなぁ~って気になりました。


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