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ここも誰かの旅先 [観劇]

空晴第15回公演『ここも誰かの旅先
大阪公演:2016年8月4日(木)~2016年8月9日(火)@HEP HALL
東京公演:2016年9月1日(木)~2016年9月5日(月)@下北沢ザ・スズナリ
札幌公演:2016年9月10日(土)~2016年9月11日(日)@シアターZOO
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2016年9月2日(金)19:30 A列5番

あなたには近かった。
      私には、遠すぎた…。

出演者
津喜子  岡部尚子
東吾  上瀧昇一郎
工務店  小池裕之
みや  古谷ちさ
早乙女  南川泰規
マル  駒野侃
藤堂  河野洋一郎
(南河内万歳一座)
仁  太田清伸

劇団員
平本光司
川下ともこ

作・演出:岡部尚子

客席には入り、セットがちゃんと組まれている。ダンボールじゃない!と驚いてしまった。
なかなかはダンボールセットにはお目にかかれない。でも、空晴=ダンボール
どこかに隠れているかも?とステージの上下をキョロキョロ探してしまった。
今まで利用していた一見レトロなダンボールもなく、今どきのダンボールがセットではなく小道具になっていた。
当たり前だけど、ずっと観てきた空晴はダンボールがセットの一部もしくはセットの大半がダンボールを見慣れていたので不思議。

最初は安定のドタバタ。
会話が交差してどちらに行くのか分からない。
こっきー登場だけで笑いがちらほら。

あちらこちらに散らばっていた言葉と気持ちたちが集まって「伝えること」「伝えなくて良いこと」
言葉出して伝えていれば、自分を守ろうと勘違いで傷を大きくすることなく、わだかまりがなく分かり合えたこと。
伝えたことで傷つくこともあるが、傷つくを通り越して「しゃべるな!」と思うこともある。
 
空晴作品の序盤は、会話が交差してバタバタしている。が定番。
出だしが似ていてマンネリ化しているので観るの飽きた。と最近感じていた。
今日も序盤を観て「また、定番スタイルね。」と思っていた。
中盤から終盤にかけて、弾丸のように心をえぐられ苦しい感情が湧き出てくる。
心がえぐられるので終演後ダメージが凄い。

客演の河野さんは初めて拝見する。
存在が優しさに包まれ強くて大きな存在感。
見た目はおっちゃん。(失礼しました)でも、板の上にいる存在感は大きい。
上瀧さん演じる東吾(甥っ子)が両親に聞くことができず、特にお母さんと叔父さんの関係性を疑って母子の関係が壊れていることを“ちゃんと聞いたのか?”と言っていた。
でも、母親に「叔父さんのことどう思っているの?なんで、この写真お父さんが亡くなって以降大事に持っているの?」と聞くのは難しいと思う。
聞いてしまえばなんてことなかったと思うし、何十年も疎遠なってしまうことなかったと思う。
「なぜ、聞かなかったのか?」「なぜ、向かい合わなかったのか?」を諭しながら、悔しくて悲しいと思う気持ちを込めて、話しかけている姿・声・言葉を聞いているだけで苦しかった。

どこまで言葉にして良いのか?言葉にしてはいけないのか?
さじ加減。本当に難しい。

挑戦して色々な方向性を出すのも定番をやり続けられるのも劇団の良さだと思う。
ド定番だからこそ空晴だと改めて思った。


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